新米Webディレクターだったあの頃。沖縄から東京へ

[Documentary Working at RAZONA]

Webディレクター / 仲田 毅一郎

「小さな力を大きな力に変えられる」Webの世界に可能性を感じた仲田はWeb制作の基礎を学ぶため出身地沖縄にあるIT系の学校に通いはじめた。それから半年が過ぎたころ、企業の合同説明会があり、20社ほど面接して、ここなら成長できると直感的に感じたのが沖縄へ進出したばかりのWeb制作会社ラソナだった。アシスタントの修行時代を経て、Webディレクターになるまでには、乗り越えなければならない試練があった。

もっと成長し、自分の価値を上げるため東京勤務へ

仲田が採用されたのはサテライトの沖縄事業所。沖縄事業所ではデザインやフロントエンドなどの実制作と運用を行っている。新商品のプロモーションとしてキャンペーンページを作ったり、商品の価格が変更になったら、それを修正したり。「作業をこなせばこなすほどスキルが上がっていく実感がありました。作ったものが公開されれば達成感もあって楽しかったです」。

その一方で仲田は、仕事に対して違う欲が湧いてきていた。

「沖縄事業所での制作の仕事は、東京のディレクターから指示があって進めるのですが、僕もクライアントと直接、上流工程をやってみたいと思うようになったんです。自分が主導権を持って仕事を回したいなと。それと、経験を増やして自分の価値を上げてもっと稼ぎたかった。この二つを実現するには東京に行くのが一番の近道だと考えたわけです」

とはいっても、働きはじめてまだ10ヵ月。しかし、ラソナ代表の村元との定期個人面談の機会に思いきって胸の内を打ちあけた。案の定、村元の回答は「今はもっと沖縄事業所の制作チームで経験を積むべき」。仲田は納得して日々スキルを磨くことに専念したが、東京に行きたい気持ちは高まるばかりだった。

それから一ヵ月後の年の瀬、幸運は予想以上に早く舞い込んできた。社内に事情が生じて、仲田の東京行きが決まったのである。「少なくても1年は覚悟していたので、ラッキーでした」。

こうして東京に転勤することになった仲田だが、高揚する気持ちとは裏腹に、出発が近づくにつれてナーバスになっていった。「東京で通用するんだろうかって、ビビってきて……」。「行きたいけれど、行きたくない」、相反する気持ちに決心をつけ、仲田は沖縄を出た。

はじめてのディレクター業務で炎上

東京勤務になった仲田はまず、チーフディレクターのアシスタントとして、美容クリニックのサイトリニューアルに携わった。ディレクターとして制作から公開までのスケジュール感をOJTで覚えていくのだが、最初は話されている言葉さえよく理解できず苦労したという。

「とにかく横文字が多いし、アルファベットだけの略語もあったりで共通言語が少ない。わからない言葉は必死にメモして、後で意味を調べていました。その場はわかっているふりをすることもありました(汗)」

仕事上の共通言語を覚え、スケジュールの作成、要件定義に基づくサイトの構築などを学び、OJTは三ヶ月程度で終了。いよいよディレクターとしての初仕事がめぐってきた。しかも、大手レンタカー会社のキャンペーンページというかねて希望していた大手クライアント案件。しかし、「自分がフロントに立って回す。一人でできるだろうかと。嬉しさというより不安のほうが大きかった」。

仲田が精通していないシステム絡みの要件ということもまた一層プレッシャーとなった。

「車種ごとに何キロ走ったかというデータがクライアントから送られてくるのですが、これをアップロードするとサイトにランキングで反映されるというシステム。でも、公開後バグってしまってうまく反映されないんです。原因を探ろうにもどこから手をつけていいのやらまったくわからない状況でした。システム担当に聞いてもプログラムに問題はないといわれるし、クライアントからは一刻も早く直してくれといわれるし、もう泣きべそかきながら深夜まで対応していましたね」

そんな新米ディレクターの惨状を見て、まわりは放っておかなかった。先輩ディレクターにテクニカルチーム、役員も仲田に手を貸した。

「クライアントからの電話対応にしても、バグの原因がはっきりしていないので、どういうスタンスを取ればいいかわかりませんでした。謝るべきなのかどうかとか。電話対応では先輩が横からこういうふうに返せとか、メールもこれはこう返信しろとか教えていただきました。これでだんだんコミュニケーションの仕方がわかるようになりました。結局提供されたデータが間違っていたことによるバグだったんですけどね。勉強になりました」

炎上が鎮火するまで3〜4日程度かかり、仲田にとっては苦いデビュー戦となった。しかし、得たものは少なくなかった。

ピンチから学んだこと

東京に勤務して2年が経つと、仲田は大手クライアントを数社同時に担当するWebディレクターになっていた。メインディレクターとして冷凍食品メーカーのコーポレートサイトのリニューアルに携わりながら、グローバルのたばこメーカー、老舗電子機器メーカーなど、どれもヘビーなプロジェクトを抱えていた。

「この時は納期が年度末の3月に集中していて、今まででいちばん苦しかった時期です。夜中まで働いても、土日を使っても仕事が終わらない。明日提案が二つあるけど、間に合うのかと。もう本当にパニック状態でした」

「人に任せたりすることが苦手」な性格の仲田は、仕事を回すのに行き詰まっていた。

「全部自分で確認しないと気が済まないんです。デバッグも自分でやって、クライアントに連絡したいんですね。僕が責任を持ってクオリティを担保していますと。でも、こういうやり方ではいずれ潰れるなとわかってはいました」

すべてを自分で背負いこんでしまう仲田に、相談する余地を与えてくれたのは、東京にきた時から見守ってくれているチーフディレクターだった。夜中残業しているところにチャットワークで「大丈夫?」と気づかってくれたり、「自分でやる必要がないことを選別して人に任せろ」と教えられた。たしかに、困っていれば助ける助けられるといった共助の風土がラソナにはある。

「ディレクターとしてフロントに立って対応しなければいけないことと、バックヤードの作業にあたるデバッグとか、全部同じように考えていて優先順位をつけることができていませんでした。本当に大事なことはなにかということ。たとえば、提案の資料を時間かけて丁寧に作ってみても、ちゃんと相手に伝わって合意できなければ意味がありません。重要なのは資料をきれいに作ることではないですよね。自己満足に過ぎない無駄な時間は見直すようになりました」

タスクに優先順位をつけ、自分でしかできないことと人に任せることを仕分けると、時間の質が変化していった。周りの力も借りながら作業効率を上げて、仲田はなんとかこの難局を乗り越えることができたのだった。

どれだけ新しいことや苦手なことにトライできるかが自身の成長

入社6年目の仲田は、いまや信頼感あるWebディレクターに成長した。業界動向やトレンドなど情報の取得には余念がない仲田だが、今はどれだけ新しい試みができるか、さらにいえば、仕事を通じてどれだけ自分がやりたい方向にアウトプットできるかを考える余裕ができた。

「社内でクライアントの要望に応えるアイデアコンテストが月1〜2回あるのですが、飲料メーカーでストレスを発散する商品をプロモーションするコンテンツの募集があったんです。逆に僕は、とにかくストレスがたまるサイトを作ろうというコンセプトでアイデアを出してみました。するとこれが採用され実際受注につながったんです。もうひたすらいろんなアニメーションをやりたい放題作りました(笑)。そうしたらクライアントにも喜んでいただいて。こういうのは面白いですよね」

Webディレクターとして難なく仕事をこなせるまでなったが、現状維持ではいられない。いや、つまらないと仲田は思う。「これからも苦手なことにも積極的にトライして自身の成長につなげたい」という仲田には、やりたいことはやってみろというラソナの社風がよく合っているようだ。

 

仲田 毅一郎 / なかだ きいちろう

1986年、沖縄県出身。沖縄事業所でWebの基礎を学び、本人の希望により東京へ転勤。アシスタントからスタートし、現在はWebディレクターとして、大手クライアントサイトの企画・設計に携わる。趣味はシュノーケリング、ボルダリング、スノーボードなど。

インタビュー / テキスト

和田 知巳 / わだ ともみ

ビジネスエグゼクティブ向け会員誌の編集長を経て、フリーランスに。現在はWebメディアを中心に、ビジネス、IT、ファッション・ライフスタイルなど幅広い分野で企画・執筆・編集を手がける。またライティング活動のかたわら、非常勤講師として外国人留学生に日本語を教えている。

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